近賀ゆかり選手(DF)・背番号2
現在、INAC神戸レオネッサで活躍する近賀選手がサッカーを始めたのは、小学校3年生の時です。男子チームで男子に交じってのサッカー。
近賀選手は、「遊びのようだった」と自分のジュニア年代を振り返っています。
■近賀選手:ジュニア時代
photo:uyht
近賀選手が在籍していたのは、通っていた小学校のサッカーチームでした。練習は、遊びの延長線上で、ゲーム形式ばかり。そして、ドリブル、パス、トラップなどの基礎練習。
とにかく遊ぶことが大好きだった近賀選手は、学校から帰ると家にランドセルを置いたらすぐにボールを抱えて外に飛び出す女の子でした。
そして、日が暮れるまで鬼ごっこやサッカーを続け、とにかく毎日ボールに触っていたようです。
■近賀選手:親との関わり方
当時、まだ全然メジャーではなかった女子のサッカーにのめりこむ近賀選手を、ご両親はじっと見守っていました。
進路選択で悩んだ時も、
「自分のやりたい事だったら、それに進んだらいい」
と近賀選手の選択を応援してくれたそうです。
■ジュニア少女選手たちへ
毎日ボールを蹴っていた近賀選手が気になるのは、
「女子はボールを触るよりおしゃべりの時間のほうが多い」ということ。
小学生の女子には、毎日ボールを触ってほしい。ボールの上に座ってしゃべっていても、サッカーは上手にならない。ぜひ、気が付いたらボールに触っていた、くらい自然にボールに触れていてほしい。
それが、近賀選手のメッセージです。
熊谷紗希選手(DF)・背番号4
現在、オリンピック・リヨン(フランス)に所属している熊谷選手がサッカーを始めたのは、小学校3年生の時。お兄さんの影響で始めたようです。
海外を意識したのは、高校生の時でした。今、夢をかなえ、フランスで活躍中です。
■熊谷選手:ジュニア時代
photo:ajari
小学3年生でサッカーを始めた熊谷選手がまずやったことは、リフティングでした。
小学校から帰ると、すぐにボールをもって、近所のグラウンドまで走っていき、ひたすらリフティング。小学校3年生のとき、250回できたそうです。「やってみればできる」ということにサッカーの面白さを感じ、その後もひたすらリフティングを続けました。
学校では、「給食を残さず食べる」努力をしたそうです。とにかくたくさん食べること。それが体作りの基本、と幼いながらに考え、苦手なものが出ても絶対に残しませんでした。
■熊谷選手:親との関わり方
熊谷選手のお父さんは、バドミントンの選手でした。厳しいことで有名で、試合になるとかなり厳しいことを言われていたようです。
お母さんは、サポートにつとめました。熊谷選手が「母親には頭が上がらない」というのは、片道1時間半のクラブチームへ通うサポートを、なんと10年も続けたことです。
・中学時代、お母さんがいつもおにぎり2つとオレンジジュース1本を持たせて毎回駅まで送り迎えをしてくれたこと
・帰りがどんなに遅くなっても、絶対にご飯を作って待っていてくれたこと
この家族のバックアップがあってこそ、サッカーを続けてこられたのだそうです。
家では、サッカーを理由に勉強をしないことは許してもらえませんでした。週に2?3回は、こんなハードスケジュールの中、塾にも通っていたそうです。
いろいろなことを同時にやることは、大変負荷が高いことです。妥協を許さなかった父親と、ぶれずに支えてくれる母親のコンビネーション。
それが、DFでありながら、守備だけでなく、攻撃の起点としてもプレイにバランスの良い熊谷選手を作ったのかも知れません。
ATHLETE INTERVIEW熊谷 紗希(中高生部活応援マガジン)
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鮫島彩選手(DF)・背番号5
現在、INAC神戸レオネッサでプレーしている鮫島選手がサッカーを始めたのは、小学校1年生のときでした。
■鮫島選手:ジュニア時代
小学校1年生でチームに入った鮫島選手ですが、試合形式の練習になると、監督の言っている専門用語がわからず、「監督が言っていることがわからないからやりたくない」と練習を拒否することもあったようです。
もともと鮫島選手は走力があり、小学校1年生の時に校内マラソン大会で2位を取りました。その後、新しい小学校に移ってからの小学校5年間のマラソン大会は、すべて優勝。
小学生ながら、「マラソン大会が近付いてくると、自分で計画を立てて走る練習をしていた」とのことです。自分で計画を立て、目標に向かって頑張る姿勢は、このころからすでに作られていたものでした。
■鮫島選手:親との関わり
鮫島選手のご両親は、幼少期から、お子さんの決定に口をはさむようなことはしなかったようです。
お父さんは、インタビューに答えて「相談をされれば受け答えはしますが、私も母親も『最終的に決めるのはお前たちだよ』と常に伝えてきました」と言っています。
自分で決めなさい、といわれることは、子どもにとっては大人と同格と認められたことです。そして、自分の決定を常に後押ししてもらったことで、自信につながり、大きく羽ばたくことができたのかもしれません。
父・俊裕さんが語る なでしこジャパン・鮫島彩選手のサッカー少女時代(ジュニアサッカーを応援しよう!)
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