安藤梢 選手(MF)・背番号7
現在、ドイツの1.FFCフランクフルトで活躍中のMF、安藤選手がサッカーを始めたのは、3歳くらいの時でした。その時はまだ遊びの延長でやっていて、幼稚園の年中の時にサッカークラブに入ります。
■安藤選手:ジュニア時代
photo:uyht
「幼稚園に行きたくない」と泣いているような子どもでしたが、「サッカーができるなら幼稚園に行く」ということで、お母さんと一緒に園長先生にお願いに行ったそうです。
小学校3年生からは、通っていた小学校のチームに入りましたが、そこでも女子は初めての受け入れでした。「女子?」「女子に負けるな!」の声を逆に発奮材料としたそうです。
そのチームで、とにかくみっちりと基礎練習を行い、小学校のころから将来の夢を聞かれると、「世界一になる」と言っていたそうです。
■安藤選手:親との関わり
ご両親はいつも、「やりたいことはやりなさい」「頑張っていることを頑張ってほしい」と安藤選手に話したそうです。
決して、「こうしなさい、ああしなさい」と押し付けるような言い方はしなかったと安藤選手は言っています。
幼稚園のチームに入れてもらうときも、小学校のチームに入れてもらうときも、「女子を受け入れてください」といつも一緒にお願いに行ってくれたのは、お母さんでした。
自分がやりたいことを全力で応援してもらっているという感覚とともに成長した安藤選手。感謝の気持ちを忘れずに、日本代表として日の丸を背負います。
■ジュニア少女選手たちへ
「乗り越えた時に成長できる。これはチャンスだ」と考えること。それが、安藤選手からのメッセージです。
乗り越えたときに成長できる。もう一度金メダルをとりたい。安藤梢(デュイスブルク)(サカイク)
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岩清水梓 選手(DF)・背番号3
日テレ・ベレーザで活躍中の岩清水選手がサッカーを始めたのは、小学校1年生の時です。仲の良い男の子がサッカーを始め、見に行ったその日にサッカーをすることに決めた、という始まりでした。
■岩清水選手:ジュニア時代
photo:ND Strupler
もともと足が速かったという岩清水選手。小学校のころは、「正直、サッカー選手になりたいなと思っていなかった」そうです。
それでも、1学年あたり4,5人しか入部させない日テレ・ベレーザに中学から入部。
ベレーザでは、成績表の提出が義務付けられていたそうです。寺谷(真弓)監督(現日テレ・ベレーザ監督)に、「勉強をちゃんとできないのなら、もう練習に来なくてもいいよ」と言われた岩清水選手は、勉強時間を捻出するために休み時間や空き時間を利用して必死に学校の課題をこなしました。
岩清水選手は、ジュニア時代は本当に試合に出られない選手でした。年下が次々と試合に出ていく中、ベンチを黙々と温めていなければならず、全国大会優勝時にも大会優秀選手リストに名前はなく、U-16日本代表に選ばれることもありませんでした。
「自分が一番ヘタクソなんだという自覚を持っていた」という岩清水選手。言われたことを素直に受け止め、自分のストロングポイントを探すという努力が、現在の、だれにもまねできない安定した守備につながっています。
■岩清水選手:親との関わり方
岩清水選手のお父さんは、元アイスホッケー選手でした。小学校6年間の頑張りを見ていたお父さんは、娘に何の相談もなく、日テレ・ベレーザのセレクションに応募。
あきらめることが嫌いで、スポーツをしていたお父さんは、「宿題をやっているなら練習して来いよ」「走って来いよ」というお父さんだったそうです。
お母さんは、逆に「勉強しなさい」と言われていました。2人でちょうどバランスが取れていたのかもしれません。
「自分が一度決めたことを簡単にやめるな」といわれて育ったという岩清水選手。あきらめない姿勢は、ボールを追う姿勢にも生かされています。
■ジュニア少女選手たちへ
「逃げずにしっかりと自分と向き合って、大きく伸びていってほしい」「いろいろと悩みや壁、挫折はあると思うのですが、だからといってそこから逃げないでほしい」と岩清水選手は言っています。
自分が一番下手だ、という事実から目を背けることもなく、かといって投げ出すこともなかった岩清水選手。努力の先には必ず成功があることを、ジュニア選手たちに教えてくれています。
【女子W杯プレビュー】岩清水梓の隠された才能/日テレ・メニーナ寺谷真弓監督インタビュー(COACH UNITED)
岩渕真奈選手(FW)・背番号16
U-17女子ワールドカップで、「まるでマラドーナ!」と世界に衝撃を与えたのが、わずか15歳の時でした。
現在はドイツのバイエルン・ミュンヘンで活躍中の岩渕選手が、ボールを蹴り始めたのは幼稚園の年長のころだったそうです。
■岩渕選手:ジュニア時代
年長さんでサッカーを始めたころから、常にボールを持ち歩いていたそうです。そのころは、ピアノとバレエも習っていたということです。
お父さんとおじいさんがアスリートの家系に育った岩渕選手は、もって生まれた身体能力も高く、あっという間にサッカーでも頭角を現しました。
4年生のころは試合だと、「女の子に負けるな!」という声が相手チームの保護者から飛んでいたらしいですが、6年生になるころには「もう女の子と思わないほうがいいよね」というような雰囲気すら試合会場に漂うほどだったそうです。
そんな岩渕選手は、必ず練習を自分より上のレベルの男子とやっていました。自分より上のレベルの子とやってこそ意味がある、と負けん気でがんばっていたそうです。
■岩渕選手:親との関わり方
岩渕選手のお母さんは、いわゆる動じないお母さんのようです。男子チームに混じっていたので、小学校の合宿は、別部屋にしなければ、と女子の混じっている男子チームのコーチが頭を悩ませるところでもあります。
が、岩渕選手のお母さんは、「全然構わないですよ」。そして、岩渕選手も、男の子と一緒の大部屋で、全く気にせず飄々としていたというエピソードがあります。
女の子だと意識させすぎなかったことが、負けん気をスポイルせず、どんなところでも堂々とプレーできる今の岩渕選手を作ったのかもしれません。
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